アクターズスクール広島(ASH)卒業生インタビューに、地元広島では抜群の知名度を誇る「まなみのりさ」が登場。
悲願の再メジャーデビューを果たしたばかりの彼女たちがASHで学んだこととは──。
ここでは日々が戦いなんだと気づいた
松前吏紗(まつまえ・りさ)
1991年6月12日生まれ。3期生。ASH内で結成された「まなみのりさ」のメンバーとして、2007年8月8日にインディーズデビュー。2011年12月、ご当地アイドルNo.1決定戦「U.M.U AWARD 2011」グランプリを受賞、2012年8月にはシングル「BLISTER」でメジャーデビューするなど、ローカルアイドルの枠を超えた活躍をみせる。2013年に上京し、2014年12月には、アイドルお宝くじ「日本全国アイドル大集合スペシャル ~お宝カヴァーしNIGHT~」(テレビ朝日)において優勝。
公式サイト:http://manaminorisa.com
ツイッター:https://twitter.com/mamiri_risa
──ASHに入ったのはいつですか?
小学校3年生です。もともと歌とダンスが好きで、小さいころから歌番組や「おかあさんといっしょ」を見ながら、テレビの前で踊ったりするのがすごく好きだったんです。ひとりでおばあちゃんに、歌の発表会をやってたりしていました。
──ASHでは3期生ですが、同期はいらっしゃいますか?
ちゃあぽん(9nineの西脇彩華)が同期です。私は妹(松前香帆)と一緒にキッズクラスから入ったんですけど、妹が最年少で、その次がちゃあぽん、私という順に、スクールの中でも小さいほうでした。キッズクラスは、ひとつ上のAクラスの生徒にサポートしてもらいながらレッスンを受ける習いごとのような感じでした。
──この特集では実際にスクールの取材もさせていただき、すごくきびしい学校だと感じました。
そうですね。まだ小さいので先生も優しく教えてくれるんですけど、それでもストレッチのときには、めちゃめちゃ押すんですよ。ひとつクラスがあがるごとにどんどんきびしくなっていきますね。
──意識が変わったタイミングはありますか?
スクール内の選抜メンバーで構成される「専科クラス」に入ったときです。そのときは自分が最年少で、先輩たちについていくのに必死でした。ここで上下関係も学びましたし、先生や先輩はきびしかったけど、きびしいなかにも愛があって。レッスンに対する姿勢や意識も、このときにガラッと変わりました。
「すこしやせましょう」
──在学中の一番印象に残っていることはなんですか?
「Pオーディション」という、先生が選抜するオーディションがあるんですけど、それまで私はわりと選んでもらってたんですが、あるとき、同年代の子がみんな受かって私だけ落ちたことがあって、それがすごくくやしかったです。先生に、「落ちた理由を教えてください!」と聞きに行きました。くやしかったのと、次のオーディションまでに直さなきゃと思ったんです。
──そのときは、なんと言われたんですか?
ひとこと目が「すこしやせましょう」だったんですよ。そのとき、ちょっと太ってて。見た目も大事じゃないですか。そのへんはシビアですね。でも、また次があるからそんなに落ち込まないでいいよと先生は言ってくれて、そこからまたがんばれました。
──逆にうれしかったことは?
はじめてソロオーディションに受かったときはすごくうれしかったです。中1で、フィンガー5さんの「恋の大予言」という曲を歌いました。選曲は、母と一緒に選んだものを担当の先生に提出して、一緒に自分に合ってる曲を選びました。このオーディションはせまき門で、何回も受けては落ちてを繰り返してて。受かったときは母と泣いてよろこびました。
アクターズは青春時代のすべて
──同期との交流はいまも続いていますか?
はい。私はちゃあぽんと仲が良くて、いまもよく連絡とってます。
――西脇さんは先に上京していますよね?
そうですね。だいぶ早くて中学生とかだったんですけど、私たちは2年前です。それまでも連絡は取ってました。広島の同期の子とも、年末や夏休みに集まったりしてます。
──みなさん仲がいいんですね。
そうですね。部活もやってなかったし、青春時代のすべてがアクターズでした。アクターズにいる時間が一番楽しかったです。
──西脇さんとは一緒にユニットも組んでいたんですか?
ふたり組もやったし、キッズクラスの最初からほとんど一緒にやってました。
──先に西脇さんが上京したときはどんな気持ちでしたか?
そのころの私はまだ中学生で、仲間と歌って踊るのがただただ楽しかった時期で。そんなときに仲間が遠くにいっちゃうのが純粋にさみしかったです。
──友だちが転校するような感覚ですかね。
あのときはそんな感じでした。でも、そのときに私とちゃあぽんと、みのちゃん(まなみのりさの岡山みのり)ともうひとりで、スクール内でCLOVERという4人組のグループを組んでて、それでユニットオーディションに受かったり、ローカルアイドルとして週刊誌に出させていただいたりしたので、それが終わってしまうのはすこしくやしい気持ちもありました。
東京で活躍することが広島への恩返し
──まなみのりさの結成は、そのあとですよね。
はい。もともとはP企画(先生たちがユニットを選抜する企画オーディション)ではじまったグループで、「シャイニング・ウィザード」という名前でした。活動していくなかで「TSS Short Movie Festival」というイベントの企画があり、CDオーディションが開催されることになって、そのオーディションに合格したタイミングで「まなみのりさ」になったんです。
──まなみのりさは広島での活動期間が長かったですよね。
デビューから7年間は地元広島を中心に、お祭やイベントなどによく出させていただいてました。
──CMにも出演したりと、かなり活躍をされていたと思うんですが、なぜ上京を考えたんですか?
広島のみなさんはすごくあたたかくて、私も広島が大好きです。でも、まなみのりさを続けていくなかで、歌とダンスをずっと続けていきたい、この3人で全国に挑戦したいと思うようになりました。
──それも3人で話し合って決めたんですね?
はい。東京で活躍して広島に良いニュースを持って帰ることで、育ててくれた広島に恩返ししたいなと思ってます。広島のみんなも最初はさみしいと言ってくれてたんですけど「まみりが大きくなるのがうれしいからがんばってきてね」と、最終的に背中を押してくれて。広島のファンの人たちの応援があったから、広島を出る勇気が出たんだと思います。
Perfumeの妹分と呼ばれて
──まなみのりさはPerfumeの妹分とよく言われてきましたが、Perfumeはどんな存在ですか?
ちゃあぽんのお姉ちゃんのグループということもあって、はじめからあこがれの存在でした。発表会にもたくさん出てたし、優しくアドバイスもくれて。ずっと地道にがんばって、いまは世界的なスターになっていらっしゃるので、努力をすれば夢は叶うということを教えてもらったと思います。
──ASHではみなさんが後輩レッスンをすることもあったんですよね?
研修生の制度があって、まなみのりさがはじまったぐらいのころから、Aクラスという小学生のクラスの子たちをアシスタントとして教えてました。モーニング娘。の鞘師里保ちゃんや、アイドルネッサンスの石野理子ちゃんが当時のAクラスにいましたね。
──いまASH出身者がいろいろなところで活躍していますが、どう見ていますか?
一緒にがんばってた仲間なので、うれしいという気持ちと同時に、自分もがんばらなきゃという刺激になります。最近では東京のライブでASH出身者と共演することもあって、広島で一緒にがんばってた仲間と東京のライブで会えることがすごくうれしいです。
──12月22日に発売された「νポラリスAb/逆襲のポラリス」はまなみのりささんにとって、再メジャーデビューシングルになります。
2012年に一度メジャーデビューをさせていただいたんですが、そのときは自分たちの考えが甘かった、弱かったといますごく感じてます。あのときうまくいかなくてくやしい思いもしました。東京に出てすぐのときはお客さんが2、3人ということもあって、くじけそうにもなったんですけど、いつもファンの人が支えてくれました。
多くのライブをさせていただくなかで、ライブは楽しいのが一番なんだと気づけたのもファンのみんなのおかげなんです。過去の弱かった自分を認めてあげることができたいま、もう一度わたしたちに思いを預けてほしい。今回の再メジャーデビューは、ファンのみんなと一緒に進んでいきたいです。
撮影=石垣星児
執筆=森野広明