「“あきらめない子”の筆頭がPerfumeだった」田中都和子(ヴォイストレーナー)インタビュー

「“あきらめない子”の筆頭がPerfumeだった」田中都和子(ヴォイストレーナー)インタビュー
この記事は2015年6月15日に「LoGiRL」で公開されたものであり、内容は初出当時のものです。

世界に名だたる多くのアイドル&アーティストを輩出し続ける、アクターズスクール広島(ASH)。
地方のいちスクールが、なぜこれだけ多くのスターを産み出すことができるのか。
運営スタッフであるヴォイストレーナーへの取材から、その秘密を解き明かす。


スターは「基礎」から生まれるもの

田中都和子(ヴォイストレーナー)
[PROFILE]
田中都和子(たなか・とわこ)ヴォイストレーナー
ASH創立メンバーのひとり。エリザベト音楽大学大学院修了。
在学中より、様々なオーディションに合格し、演奏会にソリストとして出演するほか、ソロ、ジョイントリサイタルも多数開催。日本国内のみならず、海外においてもコンサートを開催。
演奏活動をするほか、舞台監督として、舞台の制作にも携わる。クラシック以外では、バックコーラスなどで、数々のテレビ、ラジオ番組に出演。これらの豊富な経験をいかし、ヴォイストレーナーとしても多くの生徒をさまざまな分野に輩出している。

ASHは、Perfumeをはじめとする多くのアーティストを輩出しています。そして、彼女たちは軒並み「実力がある」「技術が高い」という評価をいただいています。
その大きな理由は、私たちが「基礎にうるさい」からだと思います。

レッスンでは、まずは基礎をしっかりと教え込みます。
いきなり振りを踊らせたり、歌を歌わせるだけでは、あるところまで行くと必ず行きづまる。でも、基礎をしっかりやっておけば、卒業してからも絶対にやっていけるんです。
卒業生の動向も追いかけていますが、みんな日に日に成長していくのを感じてます。

そんな中でも、“できる子”はいます。才能や適性もありますが、多くは“あきらめない子”なんです。

「すぐには結果が出ない」と理解し、ちゃんと努力をする。そういう子が、やっぱりできる子になっていきます。その筆頭が、Perfumeの3人でした。
彼女たちは中学3年生のときに東京に行き、高校3年生になるまでずっと、お客さんが数人しかいないようなライブをやり続けていました。
何回も辞めたいと思ったことでしょう。でも、辞めなかったんです。

乃木坂46に入った中元日芽香も、ずっとアンダー(非選抜組)で、辞めたいこともあったと聞きます。
でも、ずっと我慢してがんばって、アンダーでセンターになれました。
BABYMETALの中元すず香も、さくら学院などの期間を経て、注目を浴びました。

彼女たちがそうやって我慢することができたのは、ASHで基礎を身につけたという自信があったからからだと思ってます。

現在(いま)を教え、未来を学ぶ

田中都和子(ヴォイストレーナー)

私がまず教えたいと思っているのは、大人との付き合い方。

子どもは普通、学校の友だちとの世界に生きています。
でも芸能の世界に入れば、必ず大人と接することになる。その最初に出会う存在が、私たち講師陣なのです。
だから、あいさつや礼儀という基本的なことは当然教えますし、子どもたちにとっては理解できないことや理不尽なことを、見たり感じたりすることも出てくると思うので、それをいかに腑に落としていくかということも、重要になってきますね。

最近では、ブログやツイッターなどがあるので、良くもわるくも、スマートフォンから自分のことを簡単に発信することができるじゃないですか。
私たちもそこまでチェックをしないといけない時代になりました。もし、変なことを書いている生徒を見つけたら、それこそ爆弾を落としますよ。
「あんたの芸能生活はもうこれで終わっちゃうよ」と言ったぐあいに。
1回の軽率な行動が、あとあとになって大きな事件を招く可能性がありますからね。

そして、生徒たちに学んでほしいこと。
それは、みんなの未来はひとつではないということです。

ライバルを見つけたり、自分より上手な子に憧れを抱いたり、はたまた(小さい子のお世話をする)ASHの研修生制度を通して、自分が教える側に回りたいと考える人もいるでしょう。
ほかにも、演技コースやモデルコースでお芝居に目覚めた生徒が、上京して芝居の世界で勝負していたり、自分で劇団を作った生徒もいたりします。

去年は、卒業生の花岡なつみがオスカープロモーション主催の「第14回全日本国民的美少女コンテスト」音楽部門賞をいただきました。

彼女は背が高く美人ですが、ASHに入ったときはおとなしくて、歌はもう一歩という感じでした。
でもそこから5年間、一生懸命がんばってあそこまで成長できたんです。

Perfumeのときもそうでしたが、ずっとレッスンをつけてきた生徒を東京に送り出すときは、感慨深いものがあります。
なにかひとつの夢を追って入学することも大事ですが、ここでいろいろな可能性を見つけてくれたらうれしいなと思っています。それが私たちのやりがいでもあるので。

成功は誠実のあとについてくる

いま、ASHにここまで注目していただけているのは、事務局にせよ講師にせよ、それぞれの分野のプロフェッショナルが集まって、誠実にやってきたということに尽きると思います。

それが信頼につながり、いろいろなプロダクションの方が見に来てくださって、卒業生を世に送り出してくれた。
やってきたことは、設立のころからなにも変わらないんです。

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撮影=石垣星児
執筆=力石恒元、森野広明

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