アクターズスクール広島(ASH)卒業生インタビューに、地元広島では抜群の知名度を誇る「まなみのりさ」が登場。
悲願の再メジャーデビューを果たしたばかりの彼女たちがASHで学んだこととは──。
1期生オーディションは倍率10倍のせまき門
岡山みのり(おかやま・みのり)
1990年12月2日生まれ。1期生。ASH内で結成された「まなみのりさ」のメンバーとして、2007年8月8日にインディーズデビュー。2011年12月、ご当地アイドルNo.1決定戦「U.M.U AWARD 2011」グランプリを受賞、2012年8月にはシングル「BLISTER」でメジャーデビューするなど、ローカルアイドルの枠を超えた活躍をみせる。2013年に上京し、2014年12月には、アイドルお宝くじ「日本全国アイドル大集合スペシャル ~お宝カヴァーしNIGHT~」(テレビ朝日)において優勝。
公式サイト:http://manaminorisa.com
ツイッター:https://twitter.com/mamiri_minori
──みのりさんは1期生ですよね?
はい。小さいころから幼稚園のお遊戯会がすごく好きだったみたいで、小学3年生のときにASHのテレビCMを見て、やってみたいとオーディションを受けに行きました。
──第1回目のオーディションは応募がすごく多かったそうですね。
一番多かったみたいで、1,000人ぐらいいたと聞きました。だから、本当に受かるとは思わなくて、受かってから家族で「どうする?」って話したのを覚えてます。行きたいんだったら行っていいよと言ってくれたので、入りました。
──最終的には何人ぐらい合格したんですか?
受かったのが100人ぐらいです。
──最初の頃はどんなレッスンをしていたんですか?
本当の基礎ですね。1期生だったので、歌やダンスをやったことない人もけっこういて、ダンスはリズムの取り方から、歌は声の出し方からと、基礎中の基礎を教わってました。
──はじめからデビューを夢見てレッスンを受けていたんですか?
入ったばっかりのころは、ぜんぜん考えてなかったんですけど、小学校高学年ぐらいから、先生にグループを組まされるようになって。私、自分で言うのもなんですけど、ありがたいことに“推していきます”みたいなグループにいつも入れてもらってたんですよ。でも、結局誰かがやめちゃったりして、うまくいかなくなってしまうことが多かったですね。
──誰かがやめてしまうことで、グループがダメになってしまうというのはつらいですね。
というよりも、たぶんグループ自体がどうにもうまくいかなくなってしまったからやめます、みたいな人が多かったのかなって思います。
──逆にグループがすごくいい感じだったら…
やめてない人もたぶんいたんじゃないかなって思いますね。
──そうやってグループが次々と変わっていくなかで、まなみのりさが続いた理由はなんだと思いますか?
たぶん年齢も関係あると思います。小学生や中学生のときは、まだそんなに根性がなかったと思うんですよ。ひとつがダメだったら、それでもう全部がダメかもって考えちゃう。でも、いろんなことを経験していくうちに、ひとつのことがダメでも、それであきらめるのはちょっと違うなってことがわかるようになっていくんです。
ASHでは「競うこと」を学んだ
──スクールで学んだことで、一番役に立っていることはなんですか?
歌やダンスの基礎はもちろんなんですけど、私は「競うこと」を学んだと思ってます。同じ歳ごろのがんばってる仲間ではあるけど、ライバルでもあるってことはずっと思ってて、その中でどうやったら抜けられるかをずっと考えてたから。
──先生たちも、学内のすべてがオーディションで決まるから、それを在学中から経験できるのがASHの強みだと言っていました。
本当にそうだと思います。特に負けずぎらいな子は、仲がいい子が選ばれて、自分が選ばれなかったら悔しいから、次は絶対に選ばれようとすごく努力するんです。私はそれの繰り返しでした。
──そういう意味では、負けずぎらいな人たちが残っていく環境なのかもしれませんね。
そうかもしれません。昔、一緒にグループを組んでた子のなかには、スクールをやめてから別のところでレッスンを続けてた子もいたけど、結局、いまこの歳になっても歌とダンスを続けてる人はほとんどいないですし。まなみのりさの3人はたぶんすごく負けず嫌いなんだと思います。
──学内の発表会で印象に残っているパフォーマンスはありますか?
1期生だからPerfumeさんとも同期なんですけど、年齢が離れてるのでもともとあこがれのお姉さんたちという存在だったんです。スクールに入って何年か経ってから、先生の決めたグループで一緒に発表会に出る機会があったんですけど、そのときに緊張しすぎて田中先生に「もう歌えません」って言ったのを覚えてます。
──そのときPerfumeはもう結成されていたんですか?
はい。もう「ぱふゅ〜む」として広島で活動してました。そのときのグループは、かしゆかとあ〜ちゃんとほかのお姉さん2人に私という5人で、私が一番年下でした。Folderさんの「パラシューター」を歌ったんですけど、おそれ多くも私がメインで歌うパートが多くて。先生がチャンスをくれたんだと思うんですけど、すごく緊張しました。でも、貴重な経験をさせてもらったと思ってます。
人生の節目の年には不安になったことも
──いまはアイドルの数も増えていますが、みのりさんたちが10代のころと環境の違いを感じますか。
たとえば、もともとあるグループに加入するのってすごくきびしいことだと思うんです。もうできあがってるわけじゃないですか。そこに入れるっていうのはやっぱり、スクールで鍛えられているからこそだろうと思いますね。私たちの時代は、イチからというか、どこかに入るのではなく、自分たちがどんどん大きくなれるよう努力していく感じでしたから。
──広島で活動をはじめた初期のころで印象に残っていることはありますか?
いまはいろんなアイドルさんがCDを出されてますけど、私たちのころはCDを出すこと自体がすごく貴重だったから「やっとデビューできる!」ってすごくうれしかったのを覚えてます。でも、ちょうどアイドルブームの谷間の時期で、ライブやイベントでアイドルって言うと「えっ?」みたいな反応をする方もいて。はじめのころはお客さんも、身内だけということがよくありました。
──みのりさんが芸能界でやっていく決意を固めたタイミングはいつですか?
「U.M.U AWARD 2011」という、ご当地アイドルのナンバーワンを決める大会に参加したんですけど、そのときすでにCDデビューしてから何年も経ってたんです。広島でずっと活動してたものの、自分が思うようなところまでは行けてないというのが正直な気持ちでした。だから、「U.M.U AWARD」で、もし優勝できなかったらもうやめたほうがいいんじゃないかと思ってて。そうしたら優勝することができたので、やっぱりまだあきらめるべきじゃないんだと思うことができました。
──がんばってきた成果が目に見えると大きいですよね。
そうなんです。私、やめようと思ったときになにかの転機が来ることがよくあって。小学3年生でスクールに入ってから、まなみのりさでデビューするまで7、8年かかったんですけど、途中で本気でやめようと思った時期があるんです。実際に、先生にも言いに行ったんですけど、そのとき「最後にこのオーディションだけ受けてやめなさい」って言われたオーディションが、まなみのりさがCDデビューしたオーディションだったんです。
──続けるかやめるかという悩みは、常にあったんですか?
やっぱりありましたね。高校生のときは、大学に行くか行かないかで悩んだりもしたし。同じ状況がずっと続いてると、節目の年とかに「このままで大丈夫なのかな?」って心配になることがあるんです。そういうときに転機が来ての繰り返しで、いまに至る感じですね。
Perfumeのライブを見ると涙が出てくる
──そんなまなみのりささんは、今年(2016年)で10年目を迎えます。
本当に積み重ねでしたね。年数を重ねるごとに、応援してくれる人も増えてきて、デビュー当時から変わらず応援してくれてる人もいて、中途半端でやめたくない、終わらせたくないという気持ちがいまはすごく強いです。「このままで大丈夫なのかな?」と思うことはあっても、「いや、もうちょっと踏ん張ればまだいける」って気持ちがどこかにずっとある。だから続けられるんだと思います。
──Perfumeも下積みの期間は長かったですしね。
Perfumeさんのライブ見ると、いまも自然と涙が出てくるんですよ。あきらめなかったからこうなれたっていうのを、一番近くの人が実現してくれてるのは、すごく力になる。地道にがんばっていくことが大切なんだってことを、Perfumeさんが証明してくれてるのは大きいですね。
──最後に、まなみのりさのこれからについてお聞かせください。
一昨年の4月に東京に来たんですけど、それまでの7年間、広島の人たちに支えられてきました。そこで自信がついたからこそ、東京でがんばろうという決心ができたので、いいニュースをもっと広島に届けられるように、活躍したいです。若い子たちに比べたら年齢も上のほうなんですけど、だからこそ伝えられることもたくさんあるので、もっともっとまなみのりさってすごいねと言ってもらえるようにがんばります。
そうなることが、自分たちのためであり、応援してくれているみんなのためであり、そして、大事なことを教えてくれたスクールと先生たちへの恩返しになるんじゃないかと思います。まだまだここから。いまから行ける! って思ってます。
[少女はいつ大人になっていくのか「2016 SPRING ACT」フォトレポート前編(写真45枚)に続く]
撮影=石垣星児
執筆=森野広明