アクターズスクール広島(以下、ASH)卒業生インタビューに、地元広島では抜群の知名度を誇る「まなみのりさ」が登場。
悲願の再メジャーデビューを果たしたばかりの彼女たちがASHで学んだこととは──。
Perfumeのあ〜ちゃんに誘われてASH入り
谷野愛美(たにの・まなみ)
1991年8月7日生まれ。8期生。ASH内で結成された「まなみのりさ」のメンバーとして、2007年8月8日にインディーズデビュー。2011年12月、ご当地アイドルNo.1決定戦「U.M.U AWARD 2011」グランプリを受賞、2012年8月にはシングル「BLISTER」でメジャーデビューするなど、ローカルアイドルの枠を超えた活躍をみせる。2013年に上京し、2014年12月には、アイドルお宝くじ「日本全国アイドル大集合スペシャル ~お宝カヴァーしNIGHT~」(テレビ朝日)において優勝。
公式サイト:http://manaminorisa.com
ツイッター:https://twitter.com/mamiri_manami
──まなみさんは何期生ですか?
8期生です。ASHは半年に1回オーディションがあるんですけど、私はPerfumeのあ〜ちゃん(西脇綾香)に誘われて、5年生の終わりくらいの中途半端な時期から入ってるんです。
──西脇さんとはもともと家族ぐるみのお付き合いがあったんですか?
はい。仲良くさせていただいていました。
──芸能の仕事にもはじめから興味があったんですか?
目立つのが好きで公民館でやるようなミュージカルに入ってたんですけど、もったいないからちゃんとやったほうがいいんじゃないかって言われたんです。お金もかかるからうちの親はしぶってたんですけど、あ〜ちゃんのお母さんがすごくプッシュしてくれて、やってみることになりました。
──実際に入ってみてどうでしたか?
それまでやってたミュージカルは、みんなでただ楽しんでやる感じだったので、本気度がぜんぜん違いました。特にASHは熱い保護者の方が多いので、まずそれに圧倒されてしまって。
──自分のご両親はそういうタイプではなかった?
ぜんぜん違いますね。ついてくることもほとんどなくて、最初からひとりで電車で行って、ひとりで帰ってきてました。
──まなみさん自身もはじめはそこまで情熱的ではなかったんですか?
はい。こんなこと言うのもなんですが、まさかいまみたいになるなんて思いもしませんでした。すごくシャイで、人ともあまりしゃべれなかったので、レッスン時間より早く着いちゃって、入り口の前でうろうろしてることもありました。
ASHに入ってすぐに鼻をへし折られた
──それまでレッスンを受けたことはなかったんですか?
そうなんです。でも、ミュージカルでいい役をもらってたので、ヘンな自信があって…。ASHはみんなの気合いが違って、そこでまず鼻をへし折られましたね。ダウンとアップというリズムの取り方があるんですけど、そういう基礎の基礎から自分ができてないんだと思い知らされて、最初は泣くこともたびたびありました。
──まわりの熱量にはついていけたんですか?
あ~ちゃんのママが引っぱってくれてたんです。入学の半年後に発表会があって、そこでスカラシップというアミューズの特待生が選ばれるんですけど「これに入れんかったら、だめよ、まなちゃん」って、自分の子どものように応援してくれて。
──スカラシップには入れたんですか?
はい。びっくりして、涙が出ました。「まなちゃん、入ったよ!」「選ばれとるよ!」っておばちゃんも自分のことのように泣きながら喜んでくれて、その感動があったから、もっとがんばりたいって意識が芽生えたんだと思います。
まなみのりさがこんなに続くとは思わなかった
──まなみのりさの前身となる「シャイニング・ウィザード」が結成されたときはどう思いましたか?
“ノってた”時代じゃないですけど、そのころは私たちの世代が一番育ってて、楽しい時期でした。半年ごとにP企画(先生たちがユニットを選抜する企画オーディション)でいろんなことに挑戦させてもらってたんですけど、ずっと一緒にやってたメンバーと選ばれたことがまずうれしかったし、やってやろうって気持ちもありました。
──当時はまなみのりさ以外のグループもやっていたんですか?
同時進行で、りっちゃん(松前吏紗)と花菜と私で「シナモン」という3人組をやってたんです。そっちのほうが長くて、ライブもオーディションもたくさん受けてたので、正直に言うと私はそっちで行くものだと思ってました。シャイニング・ウィザード(まなみのりさ)が、まさかこんなにも続くとは思わなかったです。
──「まなみのりさ」で行くんだと思ったのはCDデビューが決まってからですか?
CDを出せることはすごくうれしかったけど「これで行くんだ」という実感は、正直言ってそこまでなかったです。まだユニットのひとつというか、もともとアイドルには興味がなくて、歌にも苦手意識があったので、女優やレポーターをやりたいという気持ちが強かったです。
──そこから意識が変わっていったきっかけは?
ライブをしていくなかで、ファンの方ができるうれしさを知ったことが大きいですね。応援してくれるみんなの熱量を感じて、自覚や責任感がやっと出てきたんです。
1回1回のライブを大切に届けたい
──ASHで学んだことで生きていることは何ですか?
スクール内の選抜メンバーで構成される「専科クラス」での経験はすごく生きてます。30分前にはスタジオに入ってストレッチしておくとか、レッスン以外の時間の過ごし方とか、基本的なことから本当にきびしくたたき込まれました。それまではレッスンをしたらそれで終わりという考えだったんですけど、レッスンの前後の態度も先輩にしっかり注意されたりしました。
──ASHは先輩が後輩を見るというところもありますからね。
そうですね。先輩たちもすごく意識が高かったし、愛情を持ってきびしくしてくれました。そこで自分たちのわかってない部分を一からまた教えてもらったから、いまがあるんだと思います。
──先輩として、いまスクールでがんばっている子たちに伝えたいことはありますか?
私たちも東京に出てきて得たものがたくさんあるので、もっといろいろなことに挑戦してほしいです。ASHで得たもの、学んだものがあるなら、発表会だけにとどまらずにそれを生かせる場所に出たらもっと楽しいし、得るものも大きいと思います。オーディションに積極的に参加したり、いまは広島でロコドルのイベントもやってると思うので。
──これからまなみのりさはどうなりたいですか?
活動期間が長いぶん、本当にたくさんの人に支えられていまの私たちがあるので、みなさんが私たちに関わって良かった、応援して良かったと思ってもらえるように、もっとがんばりたい。友達から「もう24よ。ぶっちゃけ、いつまで続けるん?」って言われたこともあったんですけど、いまは帰ったときに「すごいがんばっとるね」って言葉をかけてくれるようになったんです。その言葉でまだまだがんばれるなと思ったし、もっともっとそう思ってもらえるようになりたいと思いました。
──昨年(2015年)の12月22日には再メジャーデビューシングルとなる「νポラリスAb/逆襲のポラリス」が発売されました。
これまでにないくらいたくさんのリリースイベントをやらせていただきました。「BLISTER」(2012年8月22日発売)のときは、「メジャーデビューやったあ!」って、それだけで満足しちゃった自分がいたんですけど、今回はそれよりも、応援してくれるみんなと、そしてまた新たに出会ってくれるみんなが満足してくれるライブを1回1回大切に届けたいという気持ちのほうが大きかったです。
そのためには、自分たちがどれだけ話し合って、どれだけその1回に注げるか。そこにはこれからもこだわっていきたいと思ってます。
[「広島のみんなに恩返しできるように」岡山みのり(まなみのりさ)に続く]
撮影=石垣星児
執筆=森野広明